ナイトメア

12/06/21
ピンとこんかもしれないけど書きたいから書く。

2003年から2011年春までニートだった。最初の3年はほんと外出も何もままならない状態。ただただ、毎日夜も眠れず睡眠時間は1時間位。世にいうパソヲタニートというわけでもなく、パソコンなんてない。

時おりカウンセリングとか連れてかれて、神経科医にもかかって、パニック障害、PTSD、自己愛性人格障害とか色々病名がついていった。欝もありーのと精神病のオンパレード。どこか他人事だったな。

普通の病院にも連れて行かれるようになった。頚椎捻転やら、そこからくる筋緊張性の頸動脈の血流異常やら自律神経失調症やらと、そこでも多数の病名がぼろぼろぼろぼろついていった。




次の2年は、闘病だった。頚椎捻転は治療開始から半年程で全快。自律神経失調症は残り1年半ほどでやっと回復。

といっても自律神経失調症に関しては、完治はしてない。今も手足の指の先の神経痛や、脊椎神経痛、や頭痛や耳鳴りは残ってる。

2008年年末頃から夢を見始めた。幼い俺がベッドでのた打ち回ってる。黒い影が覆いかぶさって首をしめてる。場面が変わって、髪の毛をつかまれてひきずられている幼い俺。

ぶちぶちって音とともに髪の毛と少量の皮膚が引きちぎれていく。黒い影に覆いかぶさられて、それが手に持ってる何かをつきつけられてる俺もいた。

見るたびに、俺はものすごい恐怖でその日はベッドから起き上がる事もできなかった。なぜだか、見たものを話しちゃいけないような気がして、2009年の夏位までは、カウンセラーにも言わなかった。


カウンセラーに話すと、すぐさま同じクリニックの院長の神経科医の診察室につれてかれた。2分か3分雑談しながら、院長が俺の言った事をメモしたノートを見ながら。時おりながく目をつむっていた。

「これは、おそらく事実です。犯人の見当も私にはついています」

俺は、これを聞いた瞬間にこれまでにない恐怖を感じた。

「大丈夫、お母さんはいませんよ。私はこれをけして口外しない。だから絶対に大丈夫なんです」

嘘のように恐怖がひいていき、そのあと3時間弱に渡って俺は泣きじゃくり続けた。とても忙しいだろうに、時おり俺の様子をクリニックの人たちが見に来てくれた。

いつからか俺は寝入っていたらしい。それまで見た夢をまたその居眠りの中でみた。影には色がつき、それは母親の姿をしていた。

「お母さんと呼んでくれてもいいのよ」

俺は、カウンセラーの1人の中年のおばさんの更生プログラムを受けた。他にもう1人K子という先輩と一緒に、その家で暮らした。相変わらず俺は家から出られなかった。

消失していた記憶が戻ってきて以降、俺の自己不信と自己愛性人格障害は嘘のように消え失せて、代わりに、強い人間不信とPTSDのフラッシュバックがひどくなった。

歩いている最中にもよみがえる虐待の記憶で、貧血でもおこしたかのように倒れるなんてことが多くて、とても出歩ける状態じゃなかった。

おばさんは俺に早いうちにパソコンを買い与えた。何をしろとも言わなかった。数日して工事の人がやってきて、俺に貸し与えられていた部屋にADSLが引かれた。

ある日俺はむしゃくしゃしてパソコンの液晶を殴った。殴り続けた。俺は今も右手の薬指と小指の神経がやられてこの2本を動かす事ができない。

おばさんは黙ってまた新しいディスプレイを買った。何度も何度もこういうことを繰り返している内、K子が俺を羽交い絞めにしてとめるようになった。

ある日の食卓K子が俺をなじった。

「あなたの親が払ってるお金じゃパソコンなんてそう何度も買い換えられないのよ!おばさんがどれだけ自分の稼ぎに食い込ませて育ててくれてると思ってるの!」

「いいのよ。大事な事が知れたから、それで十分。K子ちゃん、この子に傷つけられたことある?」

「ないですけど」

「それはね。ひどいことをされすぎて痛みを知りすぎてるから、人を傷つけたくないのよ。K子ちゃん最近とめてくれてるわね。でもね。この子の力なら、K子ちゃんをケガさせるなんてなんてことないのよ」

俺がとうとうパソコンを窓から投げ捨てて壊したら、翌日には新しいのが届いた。

「ママ」

恥ずかしいが俺の発した言葉だ。

悲しいかな、自分がかけた迷惑を迷惑とも思わない素振りを確認する以外に人を見分ける術がなかった。やっと良い人なんだと理解できたんだと思う。ママといわれたおばさんは照れていた。

9歳くらいまでは幸せな家庭だったんだよな。

それから俺は徹底的に勉強をはじめた。自己流だがとにかく勉強をした。世界中のゲームと呼ばれるものをとにかくやった。そうして業界の新製品や、どれが売れそうかといった情報を自己流なりに分析できるようになった。

おばさんは就職活動がうまくいかない俺を何度も慰めてくれた。K子は先にアルバイトを決めて働きはじめ、ちょっと悔しい思いもした。

俺は面接のたびにこのゲームは売れるだろうというかんじの海外の作品についての論文を提出した。そしてその予測がピタリと当たったとして、今の会社に採用された。

ゲーム会社のプロデューサーのアシスタントのアルバイト。今年から正社員に起用されてる。33歳で社会復帰、34歳で正社員。すごく順調な滑り出しだ。

俺には今は義弟が2人いる。2人共引篭もりだが、俺と同じでPTSDを患ってる。俺の給料の多くは彼らが破壊するものを購入するために使われ、自由になる金は月5000円もない。

だが、赤の他人のために、すごく優しくなれる人を俺は知っている。

今の俺は言語が読めないからといって、ゲームをやらないということをしない。体験版が出れば、とにかくやってみる。出来るようになるまでやる。

そうして、ローカライズの価値があるかはもちろんの事、やったタイトルが何本売れて、どういうところが評価され、どういうところがダメなのかもまとめていき、こうして俺がまとめたデータが、会社が自社タイトルの海外に出すときの参考資料とされている。

相変わらず、俺はあまり家から出ないが、そのおかげで義母は俺とK子に義弟達を任せて仕事に出ていける。

今の俺にとっての恐怖とは、実母が実母の権利をいつ行使しにくるかということだ。悪夢は種類が変わって遠ざかっただけで、結局そこから逃れられてはいない。